織女星(しょくじょせい)と牽牛星(けんぎゅうせい)−この二つの星を祭って、乞う(願う)巧(技芸)奠(まつり)を意味する乞巧奠(きっこうてん)は、日本でも早くから取り入れられたようです。日本書記には白鳳時代持統天皇五年(西暦691年)七月七日に、公卿たちと宴を開いたという記録があるそう。
七夕祭りはその後もながく行われてきましたが、宮廷と武家に限られたもので、これが民間に伝えられるようになったのは、近世に入ってからのこと。江戸時代の寺子屋教育の影響によって、織女星牽牛星の星が一年でもっとも近づく七月七日にはこれを祭って、女の子は手芸の上達を願い、男の子は手習いの上達を願いました。また、幕府が七夕をふくむ五節句を制定したこともあり、七夕祭りは全国に広がっていったのです。
七夕飾りの最初は、笹竹に五色の糸を垂らすだけでした。<赤・青・黄・緑・紫>
この笹竹にかけられる五色の糸は「願いの糸」と呼ばれて、この糸をかけて二つの星に祈ると、その願い事が三年の間に必ずかなうと言われていました。 葉竹は稲とともに、正月の門松と同じく、神の降臨のよりどころを示すものとされ、短冊は四手(しで。神事のしめなわに垂れ下げる紙)の変化したものとも言われているそうです。
納得。